わんこ達の愉快な日常
ただただわんこが大好きな「いぬばか」オバサンの悲喜コモゴモです。 リンクフリーですよん^^
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出来事
ちょっと前の話。

近所のスーパーの本屋さんのご主人に呼び止められた。
「猫のことは詳しくないですか?」

…残念ながら猫は飼ったことがない。

「実は野良猫が自宅の倉庫で子供を産んだみたいで…」

「何とかしてやりたいけど、子猫の姿が見えないんです」

「どうしましょう?死んでるかもしれないし…」

それは…困った話だ
が、カイヌシは何のアドバイスもできそうにない。
とりあえず、
野良はニンゲンが思う以上に強いから大丈夫ですよ、きっと
…と無責任に答えた次第。

数日後
「子猫、いました。4匹。もう乳離れしてるみたいです」

おお、とりあえず無事だったのか!

ご主人、困ってはいるが嫌そうではない。
しょうがないといいながら餌もやってるし
里親も探すつもりだ。
母猫はそのまま飼っちゃう勢いだ(とりあえず避妊は勧めておいた)

数日後
子猫2匹は貰われていったとのこと。
「(残った)2匹いりませんか?」

いやいやいや、無理ぽ!
犬大杉で、猫が居つかないからね~



一昨日
いつものようにマンガ本(w)を買いに行ったら。

「母猫が昨日、車に轢かれちゃって…」

「気をつけてたんですがね…ほぼ即死でした…」

「なんかオス猫(多分父猫)がいて、それに会いに行ってたみたいで」

「不思議なものでその日に限って私にすごく甘えてきたんですよ。
今思えば別れを予感していたようでした…」


あまり悔やまないで…『命』は神の領域だから
ご主人はとってもよくしてあげてたから。


なんてことない日常にも命を救う場面がある。
そこにはTVカメラもワザとらしい演出もない。
涙すらなく実に淡々としている。
でも、
何百頭を救ったと豪語する団体より
あたりまえのように手を差し伸べた本屋のご主人のほうが
正しい動物愛護に見えた


ご主人、
まだ行き先のない子猫を、どうか可愛がってあげてください。
合掌(-人ー)
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コメント
この記事へのコメント
本屋のご主人は素敵な人ですね。
力まず穏やかに猫達の為に心くだいてくれたんですね。

昨日は友達とランチに行きまして、最近起こった犬の死について経過を報告しました。
3人とも薄暗い珈琲屋の片隅で半べそ。
終生一緒に暮らせいで捨てられていたことや引き取った人も結局最後を看取ることもなく、幸せだったのかな?あのワンコ。
痛くて苦しくても口にだして痛みを訴えることがないワンコ。
なんかねぇ~~保護されても幸せとは見えなかったワンコにごめんなさいしました。
今度は絶対幸せな生涯がおくれる家で飼ってもらってね・・・とおばさん3人で泣いた。

犬を飼うって色々あるけど、自分の家で飼った子は本当に幸せなのかな?
4+1ワンコを見ながら自問自答しています。

2007/07/13(金) 09:48:28 | URL | 竜 #-[ 編集]
4つの命が下りてきて、1つの命がお空に帰っていく…
それは、人間が関わろうが関わるまいが、世界中で
循環していくのですよね
本当なら。

ムリにお空から命を下ろしすぎた心の貧しい人のために、
あっという間にお空に帰っていく命が多すぎるから
何か「死んでしまう」ということに激しい悲しみを感じますが
短い生涯を自然に生きた猫が、自然に空に帰っていくのは
何かすがすがしいような気さえします(冷たいですか?)

自然にお空から降りてくる命と、
自然にお空に帰っていく命の数が
ちょうど良いなら、生も死も本当は優しいものであるはずですが
それを作為的に操作し、あまつさえそれを生業として
金を稼ごうとする人たちは、
(いないかもしれませんが)神を恐れない愚かな人達なのでしょう。
でも、そういう愚かな行為を、阻むことも戒めることもできず
法で縛ることもできず、
せめてもの抵抗として「避妊・去勢」という形で、
何の罪も無い命の方に責任を押し付けている人間。
私も…愚かな者の一人であることを自覚するに至りました。

優しいいい記事なのに、こんなコメントですいません。
2007/07/13(金) 11:20:28 | URL | sasa #5wZuTTVM[ 編集]
竜さま。
とても自虐的な発想だけど、今自分が死んだらいったい何人の人が泣いてくれるでしょう?
経過も状況もわかりませんが、少なくとも妙齢の美女3人分の涙の数だけは、そのわんこは幸せだったんじゃないかなぁ
どんな形でも別れの時はいつも後悔があります。
むしろそれがあるからこそ、真摯に命に向き合うことができるんじゃないかと思う、今日この頃です。
そのわんこに…合掌(-人ー)

sasa さま。
生も死も、本来はとても淡々として清々しいものなんでしょうね。(付随する感情は兎も角として)
だから人はそこに神を感じ、それが宗教として語られるようになったのかもしれません。

科学が発達し人が他の命を支配するようになってから、なんとなくいろんなものが少しずつおかしくなった、そんな風に思えます。
今はその皺寄せが弱いものに向かってますが、そのうち人自身に降りかかってくるような気がします。そのとき、人は後悔するのでしょうか。それとも万能な力を求めて更なる深みに嵌るのでしょうか・・・

なんて、柄にも無くちょっとえらそうなことを書いてみました。sasaさんほど上手く表現できないけどね(汗
2007/07/13(金) 21:15:53 | URL | らんりさ@らんらんらん #-[ 編集]
こんにちは、台風一過の青空(時々雲が)ですね。
人間以外の命と供に生きるって、不思議なことだと思う。
「こんにゃろ~、猫め!」なんて思うときも…あるけど。
寄り添っていると、くすぐったい気持ちになるよね。

「動物愛護」等と大見得を切っても、自分の器を越えた命を抱え込む事は、罪な事だと思うよ。
大切なのは本屋のおじさんのような、ささやかな行いの積み重ねだろうと思う。
2007/07/15(日) 10:21:03 | URL | にゃん巻き@ぐが~ #3yoh/nRc[ 編集]
にゃん巻き@ぐが~さま。
うん、そうだね。
個人的意見としては何百頭収容のシェルターよりご主人のような優しい人が10万人増えるほうが、はるかにワンニャンのためではないかと思ってます。すなわちそれこそが小さなシェルター構想!なんだな^^
2007/07/16(月) 16:49:18 | URL | らんりさ@らんらんらん #-[ 編集]
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